
弁護士 岩出 誠(ロア・ユナイテッド法律事務所)
2001.10.04
近年は雇用の流動化の進展により、転職する者も増加し、退職時におけるトラブルも増加しています。例えば、a.突然の退職、b.退職時の事務引継ぎをしないで退職する、c.会社からの貸与物(社員章等)の返却をしない等の問題があります。そこで本稿は、以上のような従業員の退職時の怠慢・迷惑行為等により会社に多大な迷惑・損害等が生じた場合、企業として、いかなる対応が取れるか、例えば、辞めた従業員の最終給与を、退職時の怠慢・迷惑行為を理由として「減給処分」することができるか、そしてこのような迷惑行為を防止し、その損害の拡大を抑えるためにはどうしたら良いかというという点を検討してみます。
解説
(1) 労働者の退職の自由
一般的には、使用者の解雇の自由が様々に制限されているのに比較して、労働者には退職の自由があり、退職についても使用者の許可を必要するような就業規則の規定は無効とされています(a高野メリヤス事件・東京地判昭和51.10.25労判264 -35)。せいぜい退職申出後2週間正常に勤務しなかった場合には退職金は支給しないなどの方法で退職まできちんと働かせる方法が許される程度です(b大宝タクシー事件・大阪高判昭和58.4.12労判413-72)。
(2) 入社直後の突然退職による損害は
しかし実際には、会社は従業員の突然の退職により莫大な損害を被ります。一つには高額化している募集広告費のムダです。第二には、採用した以外の従業員を採用できた筈の機会の喪失です。第三に、募集・採用に費された時間による営業の機会の喪失。第四に、その後の研修、人材育成に費やされた費用のムダなどが一般的な経済的損害範囲でしょう。加えてその従業員が特定の業務のために採用された場合、その従業員が突然退職することによりその業務についての顧客を失うなどによる直接的な営業損害も入るでしょう。
従来このような多大な損害を使用者側が被ることが意識されながらも真正面からこの問題が論じられることはなく、経営に通常伴うリスクの範囲内の問題とされて済まされてきたようです。しかし、このような損害の高額化・拡大化と、転職ブームに悪乗りした常識外れな従業員の一方的・突然の退職に使用者が翻弄される事態の多発化を見て、裁判例においても従業員に対する損害賠償を実質的に認めるものが出て来ました。
(3)ケイズインターナショナル事件(東京地判平成4.9.30)
この判決(c労判626-10)は、実際には、損害賠償そのものを直接に認めたものではなく、次のような事案における判断でした。即ち、インテリアデザイン会社のA社は、取引先B社との間でビルのリニューアルに関して期間3年間のインテリアデザイン契約を受注しました。そして、B社の求めに応じて、B社に担当者として常駐させるため、そのことを説明の上、Cを採用しました。ところがCは入社1週間で病気を理由に欠勤し、他のアルバイト先に移ってしまい、結局A社を辞めてしまいました。このためA社は、B社との契約を解約され、少なくとも、1000万円の得べかりし利益を失ってしまいました。A社としてはCを許すことができず、Cに損害賠償を求めて交渉の末Cが200万円を月末までに支払うとの念書を手に入れました。ところがこの示談に対してもCはそんな念書は無効であると主張して支払いをしなかったところから、A社がCに念書による約束の履行を求めたものです。
厳密には、裁判所が、この念書の有効性を認めた上でその額を労働契約上の信義則から減額したことに法律上の意味があるものなのですが、とにかく突然の退職による使用者の損害発生を認めたものとして、又損害の減額の方法内容についても注目されるので、この判決を少し紹介しておきます。
この判決は、次のような減額の要素を上げています。A社の得べかりし利益 1000万円の損害発生を認めた上で、先ず、実際はCに対する給与あるいはその他の経費を差し引けば実損害はそれほど多額のものではないとしました。次にA社はCを採用しA社の直接の監督の及ばないB社の仕事を「単独で担当させるにもかかわらず、Cの人物、能力等に付きほとんど調査することなく、紹介者の言を信じたにすぎなかったことが認められるから、A社には採用、労務管理に関し、欠ける点があった」としてA社の採用に当っての不手際を指摘しました。更に、「そもそも、期間の定めのない雇用契約においては、労働者は、一定の期間をおきさえすれば、何時でも自由に解約できる」し(民法627条参照)、CはA社に対して、遅くともその月の前半までには辞職の意思表示をしたものと認められないではないから、月給制と認められる本件にあっては民法627条2項により、その翌月1日以降についての解約の効果が生じることになるので、A社がCに対し、雇用契約上の債務不履行としてその責任を追及できるのは、欠勤開始した日からその月の末日までの損害にすぎない、として損害賠償の範囲を雇用契約上退職の効果の発生するまでの間に限定しました。その上「労働者に損害賠償義務を課すことは今日の経済事情に適するか疑問がないではなく、労働者には右期間中の賃金請求権を失うことによってその損害に見合う出捐をしたものと解する余地もある。」として労働者の賃金請求権の喪失とのバランスを指摘し、「以上のような点を考え合わせれば、本件においては、信義則を適用してA社の請求することのできる賠償額を限定することが相当である」としました。このようにして結局裁判所は、認定したAの失われた得べかりし利益1000万円の内の7%、念書で約束された金額の約3分の1の金70万円についてのみCに対し支払いを命じました。この判決のトーンからすると念書がなかった場合は、A社のCに対する損害賠償請求権が認められたかどうかは微妙です。認められてもその額は右のような程度となることが予想されます。
A:回答
Q1の場合もc事件判決に従えば、わずかな金額の支払いを求められるだけとなる可能性があります。従って、法的手続までする場合の時間と経費を考えると、交渉によりCが任意に少額でも支払う意思を示した場合はその提案に乗って支払いを得た方が良い場合もあるでしょう。又、そもそもそのような示談もできなかったような場合には、損害賠償など考えずもっと良い人を採用する方にエネルギーを使った方が良いでしょう。しつこく追及すれば会社のイメージを損ねることになりかねません。しかし、残っている従業員との関係も含めて(従業員の方から請求を求める場合も予想されます)、不誠実な退職者に対しては、会社としても厳正に対処する姿勢を示したい場合にはc事件判決が一方的退職による従業員の損害賠償義務発生を一応認めている面を活用して、法的手段を含めた賠償請求も必要となる場合もあるでしょう。
なお、従業員が突然退職届を出したことに対して、従業員が欠勤を続ければ、退職の効果が発生するまで、年次有給休暇が使える場合は無理ですが、上記のような入社早々で年休などない場合には、前述のc事件判決も認めるように、欠勤分の賃金不払いは当然のこととして、それに留まらず、働いた分の賃金から、後述4の方法により、懲戒処分としての減給は可能でしょう。
予防策
従業員の突然の退職そのものを防止することは法律上不可能です。しかし第一に、c事件判決も指摘するように、採用段階の審査を厳しくすることでこのような被害を少なくする可能性はあります。第二に、退職予告期間を民法627条1項の2週間としないで同条2項を用いて、1ヶ月前の予告(厳密には、翌月の初めに退職したい場合は、当月の15日までに予告が必要で、15日過ぎの予告の場合退職の効果が発生するのは翌々月の初め以降)が必要と定めること(実務的には、大企業などでも、法的有効性はともかく、6ヶ月前の予告を求めている例もあるようです)、第三は、退職金や精・皆勤手当において退職申出後の退職日までのフル稼働なき場合の減額規定をおくことなどが考えられます(b事件判決の利用)。
解説
Q1でも説明した通り、原則的には、従業員の退職の自由が認められるとは言え、従業員には、在職中に、後任者に業務の引継をなすべき義務や企業からの貸与物(社員章等)の返還義務があることは当然です。
例えば、判例上も、b大宝タクシー事件(前掲)は、退職申出後2週間正常に勤務しなかった場合には退職金を支給しないことを有効としています。但し、そのような就業規則上の規定の存在が前提となります。
A:回答
退職届け提出後も一定期間は正常に勤務しなかった場合や後任者への引継業務をなさなかった場合、あるいは企業からの貸与物の返還義務に応じない場合、退職金を一部又は全部を支給しないなどの規定が、就業規則・賃金規定などで明確にされていれば、設問のような場合には、その違反の程度に応じ、退職金の一部又は全部の没収やその他の懲戒処分のあり得ることを警告して引継業務を促がすことはできますが、その場合でも引き継ぎ自体を強制することはできません。
なお、引継義務に関しては、逆に、これらの規定がない場合で、残った年休でも行使された場合には、労基法39条4項但書の使用者の時季変更権によって処理されることになります。ここでは「使用者は労働者の請求する時季に有給休暇を与えなければならない」が、それが「事業の正常な運営を妨げる場合には」会社は他の時季にそれを変更することができること(時季変更権)が明記されています。従業員の年休の時季指定に対して会社がこの時季変更権を行使した場合、時季指定による休暇日の特定という法的効果の発生が阻止され、従業員が指定した日は年休とならず、その日の労働義務は消滅しません。しかし、もし客観的にみて事業の正常な運営を妨げる場合に当たらなければ、使用者はそもそも時季変更権を持たないため、いくら「時季変更権を行使する」と言ってみても、従業員の時季指定の効果を阻止できません。この場合、従業員が会社の意思に反してその日に欠勤しても、年休が成立している以上、会社はこれを無断欠勤として処分することはできず、賃金の支払も必要となります。
予防策
以上の解説でも触れた通り、例えば「退職願を就業規則第○条第○項に定める方法(○ 日前の届出)により提出せず、又は、後任者に対して必要な引き継ぎ業務をしなかったとき、又は、会社からの貸与物を返還しなかった場合は、第○条の退職金から○割を減じ、又は、情状に応じその全額を不支給とするような規定を就業規則や賃金規定に挿入しておく必要があります。
解説
従業員の「退職願」は、例外的に、それが会社の都合などまったく関係なく退職願に記載された退職日付に「なりふり構わず退職するという強引な態度」である場合、労働者による一方的な解約とされます。この場合は、就業規則に特別な定めのない限り、通常は民法627条1項に従い、2週間前などの必要な予告期間をおけば労働契約は終了することになります。
しかし、一般の退職願は、このような一方的な解約ではなく、会社に対する労働契約の解約に関する申込みの意思表示であると考えられ、会社の承認(承諾)がなされるまでの間は撤回できると考えられています(昭和自動車事件・福岡高判昭和53.8.9労判318-61、白頭学院事件・大阪地判平成9.8.29 労判725-40)。そうするとどんな場合に退職願への承認があったとされることになるかが問題となります。この点について、大隈鉄工所事件・最三小判最判昭和62.9.18労判504-6は、次のような判断により、人事部長による退職願の受理を承認の意思表示として撤回を認めませんでした。つまり、「私企業における労働者からの雇用契約の合意解約申込に対する使用者の承諾の意思表示は、就業規則等に特段の定めがない限り、辞令書の交付等一定の方式によらなければならないというものではな」く、会社の職務権限規程によれば「人事部長の固有職務権限として、課次長待遇以上の者を除く従業員の退職願に対する承認は、社長、副社長、専務、関係取締役との事前協議を経ることなく、人事部長が単独でこれを決定し得ることを認めた規定」があり、人事部長には「退職願に対する退職承認の決定権があれば人事部長が退職願を受理したことをもって雇用契約の解約申込に対する会社の即時承諾の意思表示がされたものというべく、これによって雇用契約の合意解約が成立したものと解するのがむしろ当然である」としました。
A:回答
(1) 懲戒処分としての減給に関しては、前述の通り、有効要件を満たす他、労基法91条の制限を受けます。なお、同条によれば、まず、前段の部分については、1回の制裁案件について減給の制裁を行う場合には、当該労働者の平均賃金の1日分の半額を超えてはならないということを意味しています。例えば、平均賃金の算定の基礎となる3カ月間の賃金の合計額が60万円で、その間の全労働日が60日だとすると、1日の平均賃金は1万円となりますから、1回の制裁事案について減給することのできる上限はその半分の5,000円ということになります。
また、後段の減給の「総額が一賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えてはならない」とは、数個の非行事実に対して制裁をなす場合に、減給額の合計額が「一賃金支払期における賃金の総額の10分の1」以上になっても、10分の1までしか減給できないことを意味します。これを前述の具体例で見ますと、減給の対象となる一賃金支払期の賃金が20万円の場合には、その10分の1、すなわち、2万円までしか減給することができないということを意味しますから、当該期間中に5件以上の非行がありそれに対して減給をそぞれなす場合には、1か月内には2万円までしか減給できませんが、翌月の給与から残った 5,000円を減給することはできます。
(2) しかし、前述の通り、使用者が懲戒処分を実施するためには、その事由と手段とを、労働協約、就業規則や個別の労働契約などにおいて具体的に定めることが必要で、それなくしては、前述の欠勤や遅刻等の不就労時間に応じた賃金の減額や、具体的に発生した損害額に対する損害賠償請求をなしたり、普通解雇を検討する外ありません。なお、前述の通り、損害賠償金と賃金を相殺することは賃金控除協定に明確に規定されていない限りできません。
以上
(C)2001 Makoto Iwade,Japan
ビジネスガイド2001.10月号(日本法令)掲載