法律Q&A

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グレーゾーン!過労自殺と労災認定、企業責任への実務上の対応策

問題

Q1:設計会社A社は一級建築士の従業員Bに対し大手鉄道会社から受任した地下駅舎の設計を指示し、その作業に就かせました。ところが施主の都合や新技術の導入などが重なり次々と設計変更があり、Bは、不眠を抱え、精神科に通い始め、神経症うつ病などと診断された挙句、仕事がきついと書き残してホームから飛び込み自殺をしてしまいました。Bの遺族からBの自殺について労災保険の申請に協力して欲しいとの依頼を受けました。そもそも自ら選んだ死であるBの自殺が労災に認定されるのでしょうか。

Q2:Bの遺族はBの自殺の労災保険の申請について、労働基準監督署に提出する書面として、Bの就労状況や自殺時の具体的業務内容についての証明書の提出を要求してきました。それらは、本当に必要な書面なのでしょうか。

Q3:A社としては、Bの遺族の証明書の提出などの要求に対してに対して、本当に労災として認定され、それで遺族の生活の支えに成るのであれば協力はしてやりたいのですが、につき協力したいがどうしたら良いのでしょうか、又、その場合労災だけで終るのでしょうか。

はじめに
 自殺は、働き盛り、とりわけ青年層の世代の男性にとって、いわゆる過労死(労働者が脳血管・心臓疾患等により死亡した場合。突発的事故による負傷を原因とする場合を除く。以下、過労死)以上に大きな割合と数となっている。このような自殺に対して、過労死についてと同様に、過労による自殺、いわゆる過労自殺として労災認定と、企業に対する賠償責任を求める動きが急増し、最近、これを認める裁判例も少なからず現れ始めている。そこで、以下、最近、過労自殺を労災と認定した大町労基署長事件判決(長野地判・平成11・3・12、判例集未登載。以下、本件判決)を紹介しつつ、主に、過労自殺を中心に、過労死をも視野に入れて、これらをめぐる労災認定と、企業に対する損害賠償請求事件に関する裁判例の動向とこれらを踏まえた企業の対応策における実務上の留意点につき検討してみる。
I 本件の概要
 (1)原告Xの亡父Aは、地元の工業高校を卒業し、A社に入社し、プレス工として稼動してきたが、昭和58年7月頃には、A社の掘金工場に異動し、プレス課自動プレス部門に配属され、同部門のグループリーダーとして業務に従事していた。

(2) Aの勤務状況は、管理業務による責任の負荷に加えて、時間的にも、深夜勤務や休日出勤も多く、時間外労働も、昭和59年中に限っても年間合計 1,356時間にも及んでいた。特に、昭和59年末から翌年にかけては、プレス課の作業は極めて多忙となり、Aは、「会社はやめられないのか。死んだら楽になるのかなあ。」などと漏らすこともあった。かかる状況下で、Aは、昭和60年1月11日早朝自宅車庫の梁に荷造り用のロープをかけ、このロープに首を吊って自殺した(以下、本件自殺という)。

(3)そこで、XがY(大町)労基署長に、本件自殺が業務に起因して発症した反応性うつ病の経過として発生したものとして、平成元年11月労災認定を申請したが業務外とされ、更にその後の不服申立手続でも労災認定されなかったところから本件が提起された。

II 争点
 本件の争点は、次の3点であった。即ち、(1)Xの反応性うつ病罹患の有無、(2)Xの反応性うつ病の発症と業務との因果関係、(3)Xの反応性うつ病と本件自殺との因果関係であった。
III 判決要旨
 裁判所は、概ね次のように判示して、本件自殺を労災と認めた。
一 業務起因性の意義及びその認定基準等
1. 非災害性の疾病の業務起因性の認定基準

労災保険法に基づく労災保険給付の支給要件としての業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと評価されることにより両者の間に相当因果関係が認められることが必要であるが、このような関係が肯定されるためには、当該業務に、医学経験則上、その死傷病等を発生させる一定程度以上の危険性が存することを要するものというべきであり、この理は」「非災害性の疾病の業務起因性の認定においても異なるところはない。2. 精神疾患の業務起因性の認定基準

(1)精神疾患発症への医学経験則上の一定の危険性存在の必要性

非災害性の疾病のうちでも精神疾患は、当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患、当該労働者の性格及び生活歴等の個体的要因、その他環境的要因等が複合的、相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから、業務と当該疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に当該疾患が業務遂行中に発症したとか、あるいは業務が発症の一つのきっかけを作ったというだけでは足りず、前判示のとおり、当該業務自体に、医学経験則上、その精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要である。

(2) ストレス等の蓄積と心因性精神疾患発症との因果関係の社会通念上の高度の蓋然性による証明の許容

肉体的、精神的緊張等に基づくストレスないし疲労(以下「ストレス等」という。)の蓄積は、神経疲労を招来し、心因性精神疾患を誘発あるいは増悪させる危険因子の一つであることが認められるものの、他方、ストレス等の発生要因は様々であつて、業務のみならず業務外の事情も考えられるほか」、「心因性精神疾患に分類される反応性うつ病等の発生機序、その病態及び診断基準については、医学上も未だ完全には解明されていない分野でありその発症原因となる心因の確認が困難な場合も多い上に、ストレス等の発生原因、固体側のストレス等の受容の程度、ストレス等が心身に与える影響については個人差があるものと認められるのであって、これに現在の医学水準からはストレス等の蓄積というものを客観的・定量的に数値化することが困難あることを併せ考慮すれば、ストレス等の蓄積と心因性精神疾患発症との因果関係を完全に医学的に証明することは困難な場合がある」。「しかしながら、法的概念としての因果関係の立証は、自然科学的な証明ではなく、ある特定の事実が特定の結果の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることで足りるのであるから(最高裁昭和五〇年二〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)、業務と心因性精神疾患の発症との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっても、発症前の業務内容及びこれが当該労働者の心身に与えた影響の有無及びその程度、心因性精神疾患を招来せしめる性格要因や基礎疾患等の身体的要因の存否、発症前の生活状況等の関連する諸事情を具体的かつ全体的に考察し、これを当該疾病の発生原因に関する医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり、これによって当該業務にその心因性精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと認められる場合に、当該業務と心因性精神疾患発症との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。

二 反応性うつ病の病態等について
 反応性うつ病は、抑うつ感情が生ずるような事実が存在することを前提として特殊な情動体験に基づいて発症するうつ病であり、心因性(器質性の原因ではなく、精神的原因により発症するもの)の精神障害に分類されている」。うつ病患者は、様々な「症状の集約の末に希死念慮を持ち、自殺を企図することが多いと考えられており、このうち自殺企図は、抑うつ感情が強いまま行動の抑制がわずかに取れ、焦操感が前景に出ているうつ病発症の初期段階もしくは寛解期に多いとされている。
三 本件自殺の業務起因性の有無
1. 亡Xの反応性うつ病罹患の有無

亡Xには、昭和五九年夏ころから抑うつ感情や睡眠障害は認められたが、さらに班長試験合格を契機として、退職を望むなどの稼動意欲の低下や、疲労感、焦燥感、不安感の表出、さらには怒りっぽい、興味の喪失、無気力、行動の抑制といった様子が認められるようになり、身体症状としても、吐き気、嘔吐、不眠、食欲不振、足の冷え、各部所の痛みなどが認められ、本件自殺に至るまでの間、その症状が多彩かつ増悪化する傾向がみられる。また、亡Xは、昭和五九年一二月には、同僚に対し、希死念慮を表明するに至っており、結果的には、遺書も残さずに突然に自殺をを敢行している。これらの事実は」WHOの「診断ガイドラインに照らしてみても、うつ病の症状として複数の該当症状があると認めることができる。

他方、本件全証拠によっても、亡Xにつき」、「外因性精神障害の徴候は認めることはできず」、また、亡Xには「内因性精神障害に親和的な素因があったと認めることは出来ない」。そして、後記2のとおり、「亡Xは精神的・肉体的に過重な業務に従事しており」、それが「医学的知見によれば、少なくとも反応性うつ病の誘因となり得ることが肯定される。」「亡Xは、本件自殺の時点からさほど乖離していない時期に反応性うつ病を発症し、遅くとも本件自殺を行うまでには中等度の反応性うつ病に羅患していたものと認めるのが相当である。2. 反応性うつ病の業務起因性

亡Xの精神的・肉体的過重業務への従事堀金工場では、プレス課の従業員は残業が恒常化し、そのような中で、亡Xは、プレス課の実質的責任者として、C部長から指示された生産計画を実現するために、午後一〇時過ぎまで勤務することが多く、休日出勤も少なくなく、労働協約で定められた時間外労働時間の上限を超過するために時間外勤務手当の一部をXの内職代に振り替えて支給する程であり、亡Xは、多種類の受注品を納期までに完成させるために各工程の進捗状況を逐一管理するほか、少数の熟練者の一人として多様なトラブルにも対処しつつ、新規採用されていた新入のプレス工員に対して指導したり、代わりにその作業をすることも多く、繁忙期には、プレス課従業員の休日出勤依頼等の作業人員の確保に苦労し、さらに、昭和五九年一二月には班長登用試験に合格し、プレス課班長としてプレス課唯一の役職者になり、名実ともにプレス課三十数名を統括する責任者になったことで、従前の仕事に加え、ロボットプレス部門の管理も担当するようになるなど、責任が加重されるに至った上に、本件量産試作は、困難な作業であり、同年の年末及び昭和六〇年の年始は、正月休みを除き、連日量産試作への取組みを中心に深夜まで残業を繰り返していたもので、「亡Xは、掘金工場に転勤以来、同工場のプレス部門の管理の責任者たる地位と実務の責任者たる地位とを双肩に担わされて納期に追われ続けていたような状況にあったとみることができ、また、その状況は、掘金工場の受注量の一方的な増大、さらには亡Xの班長昇進によって深刻の度を増すばかりで、亡Xが右のような負担の軽減を期待することは困難な事態にあった」ことことからすると」、「亡Xの担当業務は、反応性うつ病の誘因となったであろうことを了解し得る程度に、肉体的のみならず特に精神的に過重な負荷となるものであった」。他方、亡Xには、反応性うつ病の発症に親和するような性格的要因や身体的要因は窺われず、親族にもその種の既往を有する者はおらず、家庭生活においても特に問題はなく、上記「過重な業務以外には同疾病発症の誘因となり得るような状況も見出し難い。」「そうすると、亡Xの従事した業務には、医学経験則上、反応性うつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存し、この業務に内在ないし通常随伴する危険性が現実化して発症したということができ、両者の間に相当因果関係が存在するものと認めることができる。

3. 本件自殺の業務起因性

故意による死亡等についての政府の免責を定めた労災保険法一二条の二の二第一項は、「当該負傷、疾病は死亡の結果がそもそも業務を原因とせず、業務と右死亡結果等に条件関係すら存在しない場合に労災保険給付を行わないという当然の事理を確認的に規定したものと解される。そして、業務に起因する反応性うつ病に罹患した労働者が自殺により死亡した場合に、当該自殺の業務起因性について判断するためには」、前述の認定基準に照らせば、「当該労働者の自殺当時の病状、精神状態、自殺に至った動機や背景事情等を具体的かつ全体的に考察し、これを反応性うつ病と自殺との因果関係に関する医学的知見に照らし、社会通念上、反応性うつ病が当該労働者の自殺という結果を招いたと認められるか否かについて検討し、これが肯定される場合には、当該自殺は、反応性うつ病の発症ひいては当該業務との間に相当因果関係があるということができる。」「うつ病による自殺は、制止症状の弱い発症の初期及び寛解期に多いこと、このようにして起こるうつ病の自殺は事の是非に関する冷静な判断能力の働かない状況下で行われる病的自殺で、本人に事理弁別を求めることはまず不可能であることなどの医学的知見が認められる。」「亡Xは、本件自殺からさほど乖離していない時期に反応性うつ病を発症し」、本件発生の直前も、自殺を示唆するような言動を示さず、パジャマ姿で、「遺書等も残さず本件自殺に及んで」いること等から、「発作的な自殺」とみるほかないこと等に照らし、「社会通念上、本件自殺は、反応性うつ病の通常の因果経過として発生したものと解することができる」。「本件自殺は、結局、業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したものとして業務との間に相当因果関係が肯認される。

IV 解説
1 問題の所在
 過労死乃至過労自殺の法的及び実務的問題としては、第一には、過労死乃至過労自殺につき、どのような条件により業務上災害と認定されるかということが問題とされ、企業がこのことにどう対応すべきかという問題がある。第二には、最近、過労死乃至過労自殺に関して企業が従業員に対する健康管理上の安全配慮義務を怠ったために発生したとして訴えられるいわゆる労災民事事件で、企業に賠償を命じるるケースが増える傾向にあり、企業としては第一の問題に深く関連してこの請求にもどう対応するかを検討しておかなければならない。
2 過労死の労災認定基準
(イ)平成7年通達に至る認定要件の緩和

非災害性の疾病の業務起因性の認定基準の内、過労死の認定基準については(この問題に関しては拙稿「脳・心臓疾患等の労災認定基準の与える影響」ジュリスト1069号47頁以下参照)、労働省は、昭和62年に認定要件を若干緩和し、更に、平成7年2月1日、認定要件を緩和した新たな通達を示した(同日付基発38号。以下、新基準)。その内容は、概ね、[1]「過重業務」の考慮期間を、それまでの1週間に限定せず、1週間より前の業務も含めて検討し、[2]業務の過重性の評価は、今まで一般的に同僚との比較でなされていたのを、同程度の年齢や経験等を持って日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある同僚との比較で行う、等である。

(ロ)新基準の影響

これを受けて、過労死の労災認定数は倍増し、その傾向は更に継続しているようである。他方、裁判所においては、もともと労働省よりは緩やかに過労死を労災認定し、新基準がこれを後追いしたものと評価できる面もあるところから、事案により否定例もでているが(静岡労基署長事件・東京高判平成8・3・21労判696-64、山形労基署長事件・最三小判平成10・3・10労判741-17、茨木労基署長事件・大阪地判平成10・9・30労判753-32等)、全体的には今まで以上に労災認定するものが増えているだけでなく(公務災害の事案だが、本件判旨一1と同様の「内在危険現実化説」によって公務性を認定した町田高校事件・最三小判平成8・1・23労判687-16、瑞鳳小学校事件・最三小判平成8・3・5労判689-16、及び「超自然経過増悪説(過重業務が基礎疾病を自然的経過を超えて急激に増悪させる関係にある場合に業務起因性ありとする説)」により労災を認定した大館労基署長事件・最三小判平成9・4・25労判722-13、小諸労基署長事件東京高判平成10・3・25判時1650-51、丸亀労基署長事件・高松高判平成10・7・17労判754- 79、関労基署長事件・名古屋高判平成10・10・22労判749-17等)、新基準を超える動きが早くもすすんでいるようである(例えば、業務の過重性の評価について、新基準より緩やかに、当該業務に従事することが一般的に許容される程度の高血圧等の基礎疾病を持つ当該労働者にとって具体的に判断すべきとの判断を示す名古屋西労基署長事件・名古屋地判平成8・3・27労判693-46や、「平均的労働者の内で最下限の健康状態にある者にとって危険といえるかどうかという観点から判断する」と判示する丸亀労基署長事件・高松地判平成9・1・14労判754-83等)。更に労働省は、平成8年1月に不整脈についても労災の検討対象とすることを発表した。

3 過労自殺の労災認定基準
(イ)労災保険法12条の2第1項との問題

他方、自殺の労災認定については、自殺という行為が、本件でも問題とされたように、労災保険給付の支給制限を定める労災保険法12条の2第1項「故意に負傷…若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたとき」に当るとされることが多いが、例外的に労災認定されることが本件以前にもあった(自殺の労災認定に関しては、拙著「社内トラブル『もしものとき』の救急事典」180以下、西村健一郎「過重労働による労働者の自殺と使用者の損害賠償責任」労判747-7以下、菅野和夫「労働法」第五版368以下が紹介する判例、文献参照)。(ロ)労災認定が問題とされる2類型

そして、自殺の労災認定をめぐる類型には、[1]本件で争われたようないわゆる過労自殺の類型(過労自殺型)と、[2]業務上の傷病により療養中の労働者がその疾病の苦痛・増悪等を理由にうつ病になり自殺する類型(業務上傷病原因型)がある。

(ハ)業務上傷病原因型の認定基準

労働省は、先ず、[2]の類型の労災認定について、「自殺が業務上の負傷又は疾病に発した精神異常のためかつ心神喪失の状態において行われ、しかもその状態が当該負傷又は疾病に原因しているときのみを業務上の死亡」とする旨の通達を示している(昭和23・5・11基発1391号)。しかし、裁判例は、この基準よりは緩やかに、業務上の負傷と傷病との間の「明確かつ強度の因果関係」(佐伯労基署長控訴事件・福岡高判平成6・6・30判タ875-130)あるいは「相当因果関係」(岸和田労基署長事件・大阪地判平成9・10・29労判728- 72)が認められれば足りるとしているが、結論的には、因果関係を否定した。

(ニ)過労自殺型の認定基準

これに対して、[2]の過労自殺型の場合について労働省は、前述の1391号通達の適用の範囲内との立場を取っているが、設計会社の一級建築士の従業員に対し、大手鉄道会社から受任した駅舎の設計を指示し、その作業に就かせたところ、施主の都合や新技術の導入などが重なり次々と設計変更があり、その設計士が、不眠を抱え、精神科に通い始め、神経症うつ病などと診断された挙句、仕事がきついと書き残してホームから飛び込み自殺未遂を図った事案について、設計業務での種々の困難さ等から生じた著しい精神的負担を受けたことによるものであるとして労災として認定している(昭和59・2・14基収330号)。

その外、同様に建設会社から運輸省出向中の建設技術者の再三に亘る計画変更等に伴う心因反応による自殺や(平成9・12・3東京中央労基署長認定)、後述のいわゆる電通事件の過労自殺も「長時間労働と睡眠不足がうつ病の誘引になり結果として自殺に至った」として労災認定がなされている(平成10・8・27 東京中央労基署長認定)。

裁判例においては、既に、海外出張中の新入社員の入社後間もなくの二ヶ月に及ぶインド出張中の自殺について、現地でのトラブルから反応性うつ病にかかり自殺したとして、業務上の理由によるものとして、ストレスなどによる自殺について労災保険の適用を裁判上初めて認めた判決(加古川労基署長事件・神戸地判平成8・4・26労判695 -31)も示されている。この裁判例では、認定基準についての一般論は判示されなかったが、「心神喪失状態」との基準は用いられていない。

(ホ)本判決の位置付け

以上の裁判例の流れの中で、本判決は、以下に述べるとおり、過労死判例における緩やかな労災認定基準を、労働者の反応性うつ病罹患と業務との関係に援用し、従来の過労自殺の判断枠組みをより柔軟にしたものと評価できよう。即ち、本判決は、第1に、最近の多くの過労死判決と同様に(例えば、北九州西労基署長事件・福岡地判平成10・6・10労判741-19-超自然経過増悪説も用いられている-)、過労死認定基準における、従来の相対的有力原因説や共同原因説の差を実質的に無意味化した、最高裁判例の「内在危険現実化説」(町田高校事件・最三小判平成8・1・23前掲、瑞鳳小学校事件・最三小判平成8・3・5前掲)とも言うべき基準を用いることにより(判旨一1)、相当因果関係を緩やかに判断しやすくしている。

本判決は、第2に、マスコミに大きく取り上げられた点だが、業務と反応性うつ病との因果関係の訴訟上の証明の程度につき、過労自殺については初めて、社会通念上の高度の蓋然性による証明を許容する旨を明示した(判旨一2(2))。この証明のレベルに関する最高裁判例の引用による判示は、多くの労災事件においても利用されてきたものである(例えば、過労死に関する地公災北海道支部長事件・札幌高判平成10・5・26労判 745-61、じん肺に関する佐伯労基署長事件・大分地判平成3・3・19労判584-43、広島中央労基署長事件・広島地判平成8・3・26判時 1585-123等)。

実際には、この判示自体は、証明のレベルに関する一般論であり、現在の裁判実務においては判示されなくとも当然の前提となっているものである。一般的には、この判例が強いて引用される多くの場合は、明確な因果関係の医学的証明が困難な場合に救済的に、因果関係を肯定するための論理的伏線として引用されることが多いようである(上記裁判例参照)。しかし、同じ判例を引用しつつ労災認定を否定する例も少なくなく(じん肺判例に関する分析であるが拙稿「じん肺患者の余病死と業務上外認定」ジュリ1020-166参照)、この点を本判決の結論の決め手と見るのは妥当ではないと解される。

結局、本判決の一般論によれば、過労自殺に関しても、従来、過労死に関して言われている通り(拙稿・前掲ジュリ1069-53参照)、業務の過重性の存否が決め手となり、それが、医学経験則上、反応性うつ病を罹患させるに足りる程度又はそれを発生させ得る高度の蓋然性を有する程度に認められれば、反応性うつ病は業務に内在した危険の現実化と推認され、他にその関係を否定する特段の事情(判旨三2参照)のない限り、業務と反応性うつ病罹患と、更には、その自然的経過としての自殺行動・その結果(死亡乃至負傷)との相当因果関係を認め得るところとなる。

しかし、この結論は、やや短絡的かもしれない。なぜなら、本件では、精神鑑定において、私的鑑定を含め6人もの精神科医が関与し、内5人の医師が、業務と反応性うつ病との因果関係を認めているからである。その意味では、判旨の如き一般論は必要なかったかも知れない。その意味では本件判決の射程距離はそれ程大きなものではないことになりかねない。少なくとも、過大な一般化は危険であろう。しかし、前述の事案の概要で述べたとおり、本件自殺と労災申請時の間隔が大き過ぎ(約4年10ヶ月)、労働時間等の就労状況についての事実関係の認定にいささかの不安があったため、かかる一般論をもって補強しておく必要があったのかも知れない。

なお、この間隔は、原告の労災給付請求権の時効消滅を招来することになる筈だが(労災保険法42条)、判決文にみる限り、被告側からはその援用はなされていないようである。

4 過労死乃至過労自殺に対する損害賠償請求事件裁判例の動向
1. 過労死民事賠償事件の動向
当初、前述の労災認定に限られていた過労死問題は、企業の健康配慮義務の高度化とあいまって(拙稿「従業員の健康管理をめぐる法的諸問題―業務軽減措置の内容とその履行上の問題および健康配慮義務とプライバシー秘匿権の二面性―」日本労働研究雑誌441-12以下参照)、今や、ほぼ確実に過労死を招いた企業の健康配慮義務違反を理由とする損害賠償請求を不可避とする事態に陥っていると言って過言ではないであろう。即ち、前述の通り、緩和されたとは言え、相変わらず過労死や過労自殺に対する労災認定基準の緩和化の遅れ・不十分もあり、過労死損害賠償請求が増え、健康診断の結果等に応じた労働環境の整備・業務の軽減ないし免除などの健康配慮義務違反による賠償責任を認める判決も少なからず出ている(川西港運事件・神戸地判昭58・10・21判時1116・105頁-但し、控訴審・大阪高判昭和59.10.19労判カード・31で取消-、伊勢市(消防吏員)事件・津地平成4.9.24労判630-24、サカイ引越センターなど事件・大阪地判平成5.1.28労判627-24、石川島興業事件・神戸地姫路支判・平成7.7.31労判688-59、富士保安警備事件・東京地判平成8・3・28労判694号34頁等、システムコンサルタント事件・東京地判平成10・3・19判時1641・54等。棄却例としては旺文社事件・千葉地判平成8・7・19判時1596-93等)。2. 過労自殺民事賠償事件の動向(イ) 電通事件の概要

近時、過労死自殺をめぐり、企業に対して安全配慮義務違反を理由として損害賠償を認めた判決が増えている。その先例は、マスコミでも大きく話題となった電通事件(東京地裁平成8・3・28労判692-13)である。裁判で従業員の自殺に対する企業責任が認められたのは同事件が初めてのことである。

電通事件判決は、入社1年5ケ月の24歳の大手広告代理店の従業員Aの自宅での自殺について、(1)常軌を逸した長時間労働(慢性的に5日に1、2回午前2時まで、自殺直前1ケ月では3日に1回午前6時30分までの深夜残業等)により心身共に疲弊してうつ病になったことによるもので、(2)雇主として長時間労働と従業員の健康状態の悪化を知っていて自殺に至ることも予測可能だったのに、(3)雇主が労働時間を軽減するなどの具体的な措置をとらなかった点に安全配慮義務違反の過失があるとして、④遅延損害金を含めるとAの両親に対して総額約1億5000万円以上の支払を雇主に命じたものだ。なお、この事件は高裁でも賠償額は減額されたが、基本的に維持された(電通事件・東京高判平成9・9・26労判724・13も会社の責任を認めたが、本人の性格などの寄与を認めて8900万円に減額)。

(1) の労働時間の算出については、会社側が、Aが過少に自己申告していた勤務時間が巡回員の記録による社内滞留時間より大幅に少なかったことから、その差の時間について、Aの社内滞留時間のすべてが労働時間ではないと争ったが、判決は、食事や仮眠等をしていたとしても、それらは残業に付随してこれに必要な限りでなされたにすぎず、その大半はAの業務を処理するために充てられていたから、その差の時間も残業とした(但し、残業手当の問題となればこの認定は問題となる)。

また、会社はAの自殺の原因として、Aの個人生活や家庭環境を主張したが、判決は、勤務状況だけでなく、Aの身上、経歴、交遊関係などの生活全般を詳細に認定して、自殺に至る理由なしとして、その主張を退けている。

(3)の安全配慮義務の履行として会社が主張した健康管理センターの設置による健康管理についても、過少申告された労働時間に基くもので実質的に機能しておらず、不十分とされている。安全配慮義務の履行としては、具体的な労働時間の軽減が必要なのである。

(4) の賠償額の認定も注目される。従来、交通事故後の被害者の自殺の例などでは、自殺と事故との因果関係を認めても、事故による負傷と自殺との関係の度合や死亡への本人の関与などを考慮して、過失相殺などの理由で、一定の減額がなされることが多い。判決は、このような観点からの減額を一切していない。会社が減額について主張していなかったことや、Aの異常な労働時間が重視されたためとも考えられる。しかし、今後は、一般の労災損害賠償事件に対してと同様に、この観点からの減額についての主張や証拠収集が問題となる(前述のように控訴審ではこれらが問題となり減額された)。

(ロ)その後の過労自殺損害賠償事件裁判例の動向

なお、その後、川崎製鉄事件(岡山地倉敷支判平成10・2・23労判733-13)は、管理職の常軌を逸した長時間労働等によるうつ病罹患による過労自殺について、会社に対して、5200万円の損害賠償を認めているが、睡眠時間の少ないのは飲酒も原因しているとして、労働者の自己健康管理義務違反が問題とされ、大幅な減額がなされている。

又、東加古川幼児園事件では、幼児園を退職して一箇月後、うつ状態での保母の過労自殺につき、一審(神戸地判平成9・5・26労判744-22)が、勤務期間の短さや自殺の時期などから業務と自殺との間に因果関係なしとしたのを、控訴審(大阪高判平成10・8・27労判744-17)は、一日の労働時間が 10乃至11時間に及び日曜出勤も多かったなど多忙を極め(正確な残業時間などは認定されていないことに注目)、「園の勤務条件は劣悪で」、当該保母は「園の過酷な勤務条件がもとで精神的重圧から「うつ状態」に陥り(反応性うつ病の認定はなされていないことに注意)、その結果、園児や同僚保母に迷惑をかけているとの責任感の強さや自責の念から、ついには自殺に及んだものと推認」できるとされ、園の安全配慮義務違反と因果関係を認めた。控訴審判決は、退職一箇月後の自殺の点については、うつ状態の快復期に自殺が多いことからすれば因果関係を否定するものではないとした。但し、同判決は、自殺への本人の関与への性格、心因的要素などを重視し、損害額から8割を減額の上、総額約1,150万円の支払を園に命じた。

更に、協成建設事件(札幌地判平成10・7・16労判744-29)では、建設運送協同組合から建設会社に出向中の労働者が、国道拡幅関連工事に、工事部次長・作業所長・現場代理人・専任主任技術者及び監理技術者として稼動中に自殺したことにつき、反応性うつ病やうつ状態の認定もすることなく、業務の重責や過剰な長時間・頻繁な休日労働等の業務により、「心身とも極度に疲労したことが原因となって、発作的に自殺した」として、出向先企業に、健康配慮義務(「過剰な時間外労働や休日労働をすることなく心身に変調を来し自殺することがないよう注意すべき義務」)違反を認め、総額約9,164万円の支払を命じた。この判決は過失相殺は認めていない。但し、出向元企業の責任に関しては、当該労働者を休職扱いにしており、出向先企業に施工方法等についての指導する余地もなかったとして、その責任を認めなかった。

(ハ)最近の過労自殺裁判例の特徴

以上のように、最近の過労自殺損害賠償事件では、反応性うつ病罹患の有無や、うつ病と業務との因果関係などを厳格に認定判断することもなく,労災認定の場合以上に緩やかに、業務の過重性の存否のみにより、事実上、自殺と業務との因果関係、そして企業の健康配慮義務の違反による損害賠償責任を認める傾向がある。その流れが、確定したものと言うのは早計だろう。しかし、実務的には、そのような下級審判例の動きを踏まえた賠償請求に対応しなければならないことは明らかであり、以下の対応策を怠ってはならないであろう。

V 実務上のポイント
1 労死乃至過労自殺の労災認定申請への対応上の注意
(1)勤務状況報告書等の要請への対応における注意
過労死乃至過労自殺(以下、過労死等という)の労災認定の場合は、直接的には遺族と労基署との労災認定をめぐる争いの問題なのだが、結局、前述の通り、過労死等した従業員の勤務状態、「過重負荷」の有無が問題とされ、企業に対して遺族と労基署の双方から当時の勤務状態の証拠調べに協力を求められることになる。特に遺族の側からは企業に対して、勤務状況報告書などに関する証明の依頼が求められることになる。そこで安全配慮義務違反の賠償請求が絡んで来る。過労死等への損害賠償請求事件が増える前までは、企業としては、労災認定により過労死等を出したことによる企業イメージの悪化の問題は別として、直接遺族に対する損害賠償による経済的負担の問題がなかったため、積極的に勤務状況に関する報告や証明書への協力もできた。しかし、前述のようなこの種の裁判の多発化の流れの中では、企業としては、安易な協力はできないことになった。(2)労災認定への協力以外の免責による確認書取得等への工夫そこで、当該過労死等の遺族との交渉において、一定の見舞金の支払いを前提として、遺族が損害賠償を求めないことを文書で約束して貰った上で勤務状況報告書を出すことを提案する方法がある。大手企業の過労死のケースでも、裁判で損害賠償を求められると、敗訴の場合に労災保険に入っていながら、判例が将来の年金給付を損害金から控除することを認めていないため、莫大な損害賠償を求められる可能性があることを踏まえ(三共自動車事件・最三小判昭和52・10・ 25民集31・6・836、最大判平成5・3・24民集47・4・2039。反対・拙稿「労働判例」ジュリスト584・155等)、数千万円の慰藉料相当の見舞金を支払い、会社との間の民事賠償事件を示談で解決した上で、過労死の労災認定を受けるのに会社も協力する約束をしたことなどが少なからず伝えられている。
2 過労死等の損害賠償請求への対応
(1)事案によっては早期示談への努力の必要
以上の判例等の動向を踏まえると、企業としては、当該従業員の勤務状況と健康管理に対して、同人の健康状態(高血圧等)の悪化を防止できたにも拘らずこれを放置して継続的疲労を重ねさせ過重業務を強いていたなどの事情がある場合には、遺族に示談を申し出て経済的な損害は労災保険によることとして、慰藉料のみを支払う示談を成立させる方法がある。(2)過失相殺、将来の労災保険年金給付の控除による示談の主張の必要なおこの場合、職業病に関する安全配慮義務違反による損害賠償事件の裁判所の判断の傾向や最近の過労死等の損害賠償事件判例を参考にすると、被災労働者自身の持っている基礎疾病、素因や健康の自己管理上の責任などを考慮して約3ないし5割程度の過失相殺の援用による損害額の減額を提示して交渉することは不当とは言えない(例えば前掲・川西港運事件では基礎疾病と飲酒等の素因の寄与を50%とし更に酒を控えなかったことでさらに80%の過失相殺を認め、前掲・伊勢市事件も3割の過失相殺を認め、過労自殺でも、前掲・東加古川幼児園事件控訴審判決では80%の過失相殺が認められている)。又、いかに判例が、前述の通り、損害賠償額から、労災保険の将来分の年金給付の控除を当然には認めないとしても、当事者間で将来給付分の控除を踏まえた示談をすることは可能である。前述の過失相殺を考慮すると、実際には相当な減額があり慰籍料だけで足りる筈である。筆者が関係した労災事件では、どちらの立場に立った場合にも極力この方向での示談を努力している。しかし、このような示談ができるかどうかは、事故後になっても労使の信頼関係が維持されているかどうかが基本である。加えて実際には被災者側に付いた弁護士の方針(被災者の意向が年金給付から補償されれば良いと考えているような場合でも、一時金で弁護士報酬を多く取ることを目的とするか、企業の体力に応じた労使の調和ある妥協点を追求するか)によることとなるので被災者側にどんな弁護士が付くかに注意をしなければならない。
3 紛争の予防策
 何よりも過労死等などを起こさない労働環境の整備が望まれる。次に不幸にも過労死等やその他の労災などが発生した場合に備えた災害補償規程の整備やこれを裏付ける損害保険会社の上積み労災保険である労働災害総合保険などへの加入の必要のあることは勿論である。特に、過労死等のように、完全な私傷病とも言えず、労災認定が微妙な死傷病に対しては、労災認定が受けられない場合には右総合保険ではカバーされないことや、このような場合にも遺族からの被害感情が会社に強く向けられることを予想して、別個の傷害保険や生命保険などへの加入が検討されるべきである(なお、生命保険での対応については、団体生命保険の受給権をめぐっての紛争が起こらないような配慮が必要なことについては、拙稿「従業員にかけた保険金」日経ビジネス1997年1月20日号101頁参照)。

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