法律Q&A

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入社直後の退職への損害賠償

弁護士 岩出 誠 2000年11月:掲載
弁護士 鈴木 みなみ 2016年11月:補正

従業員が入社1週間で突然出社しなくなり辞めてしまったら?

 インテリアデザイン会社のA社は、取引先B社との間でビルのリニューアルに関して期間3年間のインテリアデザイン契約を受注しました。そして、B社の求めに応じて、B社に担当者として常駐させるため、そのことを説明の上、Cを採用しました。
 ところがCは入社1週間で病気を理由に欠勤したまま、他のアルバイト先に移り、結局A社を辞めてしまいました。このためA社は、B社との契約を解約され、少なくとも、1000万円の得べかりし利益を失いました。
 A社としてはCを許すことができず、Cに損害賠償を求めて交渉の末Cが200万円を月末までに支払うとの念書を手に入れました。ところがこの示談に対してもCはそんな念書は無効であると主張して支払いをしません。A社はどのような措置を取ったら良いでしょうか。

悪質な場合、損害賠償の請求ができる場合もありますが、損害の全額を請求することは認められず、減額されることになります。

1.労働者の退職の自由
 一般的には、使用者の解雇の自由が様々に制限されているのに比較して(労働契約法16条等)、労働者には退職の自由があります。たとえば、退職について使用者の許可を必要するような就業規則の規定は無効とされています(高野メリヤス事件・東京地判昭和51・10・25労判264-35。以下「a事件」といいます。)。退職申出後2週間正常に勤務しなかった場合には退職金を支給しない、という規定の効力が認められた事例は存在しますが(大宝タクシー事件・大阪高判昭和58・4・12労判413-72。以下「b事件」といいます。)、労働者からの退職そのものを押しとどめる手段はありません。
2.入社直後の突然退職による損害は
 しかし、会社は従業員の突然の退職により莫大な損害を被る場合があります。第一は最近特に高額化している募集広告費や人材紹介会社を経由している場合の紹介料のムダです。第二には、採用した以外の従業員を採用できたという機会喪失です。第三に、募集・採用に費された時間に関するコストも損害と言えます。第四に、その後の研修、人材育成に費やされた費用のムダなどがあります。これらが一般的な経済的損害範囲でしょう(実際には突然退職された人事担当者の精神的ショックも忘れてはなりません)。加えて設問のようにその従業員が特定の業務のために採用された場合、その従業員が突然退職することにより、その業務についての顧客を失うことによる直接的な営業損害も入るでしょう。
 一般的には、例えば内定辞退などにおいて、信義に反するような態様で内定辞退を行った場合には、例外的に債務不履行または不法行為に基づく損害賠償請求をすることができる場合があるとされています。ただ、これまでは、実際にこのような多大な損害を被ることが意識されながら、真正面からこの問題が論じられることはなく、経営に通常伴うリスクの範囲内の問題とされて済まされてきたようです(例外は退職後の競業避止義務などに触れる場合ですが、これについては設問9-4-2参照)。しかし、右のような損害の高額化・拡大化と、転職ブームに悪乗りした一部の常識外れな従業員による一方的・突然の退職に使用者が翻弄される事態が多発することとなり、裁判例においても従業員に対する損害賠償を実質的には認めるものが出て来ました。
3.ケイズインターナショナル事件(東京地判平成4・9・30労判616-10。以下「c事件」といいます。)
 この判決は、実際には、損害賠償そのものを直接に認めたものではなく(一部の新聞には賠償責任を認めたと報じられました。例えば平成4年10月1日付朝日新聞記事)、設問のような念書の有効性を認めた上でその額を労働契約上の信義則から減額した事案です(この損害額の減額については10-5-3参照)。ただ、突然の退職による使用者の損害発生を認めたものとして、また損害の減額の方法内容についても注目される事案であるため、以下のとおり紹介します。
 この判決は、次のような減額の要素を挙げています。まず、A社の得べかりし利益1000万円の損害発生を認めた上で、実際はCに対する給与あるいはその他の経費を差し引けば実損害はそれほど多額のものではないとしました。次にA社はCを採用しA社の直接の監督の及ばないB社の仕事を「単独で担当させるにもかかわらず、Cの人物、能力等に付きほとんど調査することなく、紹介者の言を信じたにすぎなかったことが認められるから、A社には採用、労務管理に関し、欠ける点があった」としてA社の採用に当っての不手際を指摘しました。更に、「そもそも、期間の定めのない雇用契約においては、労働者は、一定の期間をおきさえすれば、何時でも自由に解約でき」(民法627条参照)、CはA社に対して、遅くともその月の前半までには辞職の意思表示をしたものと認められないではないから、月給制と認められる本件にあっては民法627条2項により、その翌月1日以降についての解約の効果が生じることになるので、A社がCに対し、雇用契約上の債務不履行としてその責任を追及できるのは、欠勤開始した日からその月の末日までの損害にすぎない、として損害賠償の範囲を雇用契約上退職の効果の発生するまでの間に限定しました。その上「労働者に損害賠償義務を課すことは今日の経済事情に適するか疑問がないではなく、労働者には右期間中の賃金請求権を失うことによってその損害に見合う出捐をしたものと解する余地もある。」として労働者の賃金請求権の喪失とのバランスを指摘し、「以上のような点を考え合わせれば、本件においては、信義則を適用してA社の請求することのできる賠償額を限定することが相当である」としました。このようにして結局裁判所は、認定したAの失われた得べかりし利益1000万円の内の7%、念書で約束された金額の約3分の1の金70万円についてのみCに対し支払いを命じました。この判決のトーンからすると、念書がなかった場合は、A社のCに対する損害賠償請求権がそもそも認められたかどうかは微妙です。また仮に認められてもその額は右のような程度となることが予想されます。
4.有期労働者の場合
 労働者が、有期雇用契約を期間途中で解約する際には、民法628条により、やむを得ない事由が必要です。やむを得ない事由が必要とされる理由は、有期契約の場合、期間満了まで契約が維持されることを前提に締結されるものであるため、当事者の契約存続に対する期待は強く保護されるべきであると解されているからです。したがって、使用者から有期労働契約を期間途中で解雇することが許される場合というのは、通常の無期労働者に対する解雇よりもさらに限定的であり、また、労働者側からの中途解約についても「やむを得ない事由」が必要とされています(なお、労働基準法137条及び労働基準法の一部を改正する法律(平成15年法律第104号)附則3条に措置規定があり、契約期間が1年を超える労働者については、原則としてやむを得ない事由が不要となります。)。
 この「やむを得ない事由」について、有期労働契約の期間延長に際して、労働者の有期労働契約中途解約への損害賠償が問われたエイジェツク事件(東京地判平24.11 ・29労判1065号93頁。以下「d事件」といいます。)は、雇用契約は有期雇用契約であり、派遣労働者らは民法628条の規定によって、「やむを得ない事由があるとき」でなければ雇用契約を解除できないと解すべきところ、派遣労働者らは「やむを得ない事由があるとき」にあたることを立証しないから、派遣労働者らの一斉退職は、「やむを得ない事由があるとき」にあたらないにもかかわらずされた違法なものとして不法行為を構成するとされ、派遣先から支払われるべき派遣料と派遺労働者らに支払うべき賃金等との差額相当分の損害賠償が認められています。これは派遣労働であったため、使用者の損害の認定が容易であったことも影響しているものと考えられます(岩出誠「労働法実務体系」124頁(民事法研究会2015年))。

対応策

 設問の場合も上記c事件判決に従えば、念書記載の全額の支払いは求められず、実際には約3分の1の支払いを求められるだけとなる可能性があります。従って、法的手続までする場合の時間的コストや訴訟にかかる経費等を考えると、交渉によりCが任意に半額でも支払う意思を示した場合は、その提案に乗って支払いを得た方が良い場合もあるでしょう。また、そもそも念書がとれなかったような場合には、訴訟等を起こすのではなく、もっと良い人を採用する方にエネルギーを使った方が結局は会社の利益となる場合も多いでしょう。現在ではSNS等により誰でも情報発信が可能であるため、しつこく追及すれば会社のレピュテーションに影響することになりかねません。しかし、残っている従業員との関係も含めて(迷惑を被った従業員の方から請求を求める場合も予想されます)、不誠実な退職者に対しては、会社としても厳正に対処する姿勢を示したい場合にはc事件判決が一方的退職による従業員の損害賠償義務発生を一応認めている面を活用して、法的手段を含めた賠償請求も必要となる場合もあるでしょう。
 一方、Cとの契約が有期であった場合、d事件を踏まえると、無期契約の場合よりも損害賠償が認められる可能性はあるといえます。しかし、無期契約の場合と同じく、訴訟のコストやレピュテーションリスクを踏まえて対応を考える必要があります。

予防策

 従業員の突然の退職そのものを防止することは法律上不可能です。
 しかし第一に、c事件判決も指摘するように、採用段階の審査を厳しくすることでこのような被害を少なくする可能性はあります。第二に、退職予告期間を民法627条1項の2週間としないで同条2項を用いて、1ヶ月前の予告(厳密には、翌月の初めに退職したい場合は、当月の15日までに予告が必要で、15日過ぎの予告の場合退職の効果が発生するのは翌々月の初め以降)が必要と定めること(実務的には、大企業などでも、法的有効性はともかく、6ヶ月前の予告を求めている例もあるようです)、第三は、退職金や精・皆勤手当において退職申出後の退職日までのフル稼働なき場合の減額規定をおくことなどが考えられます(b事件判決の利用)。

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