- 1 いわゆる過労死・過労自殺問題の企業のリスク管理上の重要性
- 脳血管・心臓疾患などによるいわゆる過労死や職場でのストレスによるいわゆる過労自殺(以下、両者を一括して、過労死等)問題がマスコミ等により頻繁に取り上げられています。法的問題としては、第一には、これらの過労死や過労自殺がどのような条件により労災認定されるか(過労死につき、拙稿「脳・心臓疾患等の労災認定基準の与える影響」ジュリスト1069号 47頁以下参照)、会社がこのことにどう対応すべきかという問題があります。第二には、最近、過労死に関して会社が従業員に対する健康管理上の安全配慮義務を怠ったために発生したとして損害賠償を求められるケースが増える傾向にあり、その損害賠償の認容額も高額化しており(電通事件・最二小判平成 12.3.24労判779-13 に基づく和解で企業は、実に約金1億6800万円の賠償金を支払っています)、会社としては第一の問題に深く関連してこの請求にもどう対応するかを検討しておかなければなりません。勿論、企業内で、過労死等を発生させた場合、以上の法的責任に留まらず、企業としては、優秀な従業員の喪失、企業内のモラールへの影響、対社会的信用の喪失等の有形・無形の様々なダメージを被ることになります。そこで、企業におけるリスク管理上の大きな問題として過労死等の防止対策、具体的には、対策のためのマニュアルやチュックシートの作成とその実行が焦眉の急となっています。
- 2 過労死等の労災認定基準
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(1)行政庁の過労死等の認定基準
(イ)従前の基準
厚生労働省は、過労死の認定基準につき、平成7・2・1基発第38号(以下、旧過労死認定基準といいます)を、過労自殺については、平成11・9・14基発第554号・心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(以下、過労自殺認定基準という)を示し、各々、詳細な基準を示していました。(ロ)新認定基準とその概要
しかし、過労死につき、次の(2)で紹介する横浜南労基署長事件(最一小判平成 12.7.17後掲)を受け、最近、新たな通達(「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」平成13年12月 12日基発第1063号。以下、過労死新認定基準といいます)を示しました。
過労死新認定基準の主な改正点は、a脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷として、長期間にわたる疲労の蓄積についても考慮すべきであるとし、b長期間の蓄積の評価期間をおおむね 6ヶ月し、c長期の業務の過重性評価における労働時間の目安を示し、d業務の過重性評価の具体的負荷要因として、労働時間、不規則な勤務、拘束時間の長い勤務、出張の多い業務、交替制勤務、深夜勤務、作業環境(温度環境、騒音、時差)、精神的緊張(心理的緊張)を伴う業務等やそれらの負荷の程度を評価する視点を示しました。
特に注目すべきは、bにおける過重性判断における労働時間に関し、「発症前1か月ないし6か月にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが...発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務との関連性が強い」と具体的な基準(以下、労働時間基準といいます)が示されている点です。
なお、過労死新認定基準においても、「業務による明らかな過重負荷が加わることによって、血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合があり、そのような経過をたどり発症した脳・心臓疾患は、その発症に当たって、 業務が相対的に有力な原因である と判断し、業務に起因することの明らかな疾病として取り扱うものである」として、いわゆる相対的有力原因説は維持されています。(2)裁判例による過労死等の労災認定基準の緩和
最高裁判例は、従前、行政庁の上記基準と下級審裁判所の多数が採用していた、いわゆる相対的有力原因説(地公災基金宮崎県支部長事件・福岡高宮崎支判平成 10.6.19労判746-14等)などの基準によることなく、「労災保険法に基づく労災保険給付の支給要件としての業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと評価されることにより両者の間に相当因果関係が認められること」で足りるとしたり(町田高校事件・最三小判平成8.1.23労判687-16等)、過重業務が基礎疾病を自然的経過を超えて急激に増悪させる関係にある場合に業務起因性ありとしたりし(大館労基署長事件・最三小判平成9.4.25労判722-13等)、結論的には、過重業務(通常に比較して精神的・肉体的に過激な業務)の存否の判断から、直接、業務と発症との相当因果関係の有無を認定する傾向が読み取れます(労災新認定基準に大きな影響を与えた横浜南労基署長事件・最一小判平成12.7.17労判785-6も同様です)。
- 3 チェックシート作成上の参考基準-過労死等の認定基準の参照の必要性
- そこで、過労死等の防止対策、具体的には、対策のためのマニュアルやチュックシートの作成に当たっては、以上の過労死新認定基準も含めた行政庁と裁判例における過労死等の労災認定基準を踏まえ、過労死等の原因となった要因の除去乃至軽減措置等が目的とされ、そこでの基準がチェック項目に対応することになると考えます。その点で、実際上、もっとも完成されたチェックシートは、a記過労自殺の労災認定基準添付の「職場における心理的負荷評価表」とb災認定基準の具体的負荷要因項目でしょう。aは基本的には精神疾患の業務起因性の判断基準なのですが、bとの対比に明らかなように、過労死の労災認定においても、同様な肉体的・心理的負荷が重視されており、参考になり得るものと解されます。以下に、これと判例における労災認定要因等を参考に、チェックシートに挿入すべき項目をリストアップしておきます。
(1)仕事の質・量の変化に関する各項目の存否・程度
- 仕事内容・仕事量の大きな変化
- 勤務・拘束時間の長時間化
- 過重業務の期間の長期化(蓄積疲労の有無)
- 深夜勤務等の変則勤務等による負荷
- 休日・年休の取得
- 時間外労働や休日労働の長さと法規制(時間外労働時間の指針・平4労告70号等)への違反
- 物理的環境の苛酷性
- 勤務形態の変化
- 仕事のペース、強度、集中度の変化
- 職場のOA化の進展
- コンプライアンス(法令遵守)問題への関与等
(2)身分の変化等に関する各項目の存否・程度
- 退職勧奨
- 出向
- 降格
- 処遇上の不公平・不利益取扱い
(3)役割・地位等の変化等に関する各項目の存否・程度
- 転勤
- 配転
- 自己の昇格・昇進
- 部下の増減
(4)対人関係のトラブルに関する各項目の存否・程度
- セクハラ被害
- 上司とのトラブル
- 同僚とのトラブル
- 部下とのトラブル
- セクハラ事件加害者としての関与
- セクハラ事件への参考人としての関与
(5)対人関係の変化に関する各項目の存否・程度
- 理解者の異動
- 上司の変更
- 昇進・昇格の遅れ
(6)健康診断・健康配慮に関する各項目の存否・程度
- 法定健康診断
- 法定外健康診断
- 健康診断による異常発見後の二次健診
- 発症後の看護・療養・業務軽減措置等
- 健康弱者に対する業務軽減措置等
- 4 過労死新認定基準の影響と企業の対応
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(1)過重性の認定期間
先ず、労災認定の観点からは、過労死新認定基準は、旧過労死認定基準で1週間を超えて拡大された筈の過重労働の認定期間を、最高裁判例における長期の認定・判断を受け、過労自殺認定基準と同様の6ヶ月を基本としています。しかし、既に、旧基準に対して触れたように(拙稿・ジュリ1069-54)、判例は、6ヶ月をはるかに超える長期の期間を超えて、労働者の蓄積疲労の存否を判断しており、今後も、少なくとも訴訟における過重性の判断傾向には変化はないものと考えられます。(2)過労自殺認定基準との関係
又、労働時間基準は、過労自殺認定基準における精神的負担の加重要因としての、「出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働」等の具体的内容として援用されることが予想されます。(3)労働時間基準と安全配慮義務との関係
次に、法理論には労働時間基準と安全配慮義務違反の成否は直接関係が無い筈です。しかし、実際には、影響を免れないものと考えます。なぜなら、過労死新認定基準によれば、労働時間基準を超えるような長期の過重労働を放置しておくことが、業務上の脳血管疾患及び虚血性心疾患を招来する蓋然性が前提とされています。他方、労働時間は、原則として、企業の支配下でコントロール可能な筈です。そうすると、企業は労働者に対して、労働時間基準を超えるような労働をさせてはない健康配慮義務を負担し、これに違反すれば、前述の通り、労災認定の問題に留まらず、損害賠償責任責任を免れない危険が増大します。これに対して企業は、責任を回避乃至過失相殺を受けるべく、過労死新認定基準では、「総合的判断」の中に包含されている、当該労働者の素因等の業務外の要因(平成13 年11月15日付「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」<座長和田攻>は、「脳・心臓疾患の発症には、高血圧、高脂血症、喫煙等のリスクファクターが関与し、多重のリスクファクターを有する者は、発症のリスクが高いことから、労働者の健康状態を十分把握し、基礎疾患等の程度や業務の過重性を十分検討し、これらと当該労働者に発症した脳・心臓疾患との関連性について総合的に判断する必要がある」と指摘している)や当該労働者の自己健康管理義務違反を反証する必要があります。
- 5 結論
- 以上の通り、企業として、過労死等の防止対策、具体的には、対策のためのマニュアルやチュックシートの作成に当たっては、基本的には、厚生労働省の示している、いわゆる過労死や過労自殺の各労災認定基準や裁判例が労災認定や、企業の安全配慮義務違反を認める判断基準を参考として、チェック項目を作成するのが良いでしょう。具体的には、特に、過労自殺認定基準で示されているチェックシート(職場における心理的負荷評価表)や労働時間基準が、実務的には参考となるでしょう。
以上