法律Q&A

分類:

見込み賃金と労働条件の明示

弁護士 岩出 誠(ロア・ユナイテッド法律事務所)
特定社会保険労務士 村上 理恵子
2010年3月:掲載

業績悪化に伴い、募集時に提示した初任給額から減額して支給することは可能か当社では、業績悪化に伴い、社員の賃金カットを実施しています。この4月より入社した新入社員についても、募集時に提示した初任給額から減額したいと考えていますが、可能なのでしょうか。

A社では、翌年の採用時の労働条件を「賃金20万円(見込み)」と示して新卒社員の募集をしてBを内定しました。しかし、景気の急激な悪化で当初見込んでいた賃金が支払えず、採用時には1万円のダウンで現行通りとなりました。ところが、Bは納得せず、見込み額との差額の補償を求めてきました。A社はBの要求に応じなければならないのでしょうか。

額の相違がわずかである場合で、「見込み」の条件として明示してあれば、法律上は要求に応ずる必要はありません。しかし、具体的な募集時の採用担当者の言動や、経営環境によっては一定の損害賠償義務が認められる場合があります。

1.募集時の労働条件の明示義務
 職業安定法5条の3第1項は、公共職業安定所等労働者の募集を行う者が労働者の募集などに当たり、求職者や、募集に応じて労働者になろうとする者などが従事すべき業務の内容や賃金などの労働条件を明示しなければならないと定めています。つまり、労働者の募集を行う者に対しては、求職者等への一定の労働条件明示義務が課せられています。
また、同法42条では、労働者の適切な職業選択に資するため、業務の内容や賃金などの労働条件を明示するに当たっては、求職者等に誤解を生じさせることのないように、平易な表現を用いるなどその的確な表示に努めなければならないと定めています。
しかし、ここで明示が求められているのは、賃金については求人募集をする時点での現行賃金で、多くの会社では初任給見込み額などとして明示するにとどまり、実際の入社の段階になって、労基法15条に従い、使用者は、労働者に対し、賃金、労働時間等を確定的に明示していくものと考えられます。
ところで、募集に応じて採用申込みがあり、面接・採用試験等を経て採用が決定した場合、これを法的に考えれば、募集は「申込みの誘引」であり、これに応じて応募の意思表示をすることが「契約の申込み」に当たり、採用試験の結果、採用を決定し本人に通知することが、申込みに対する「承諾」となり、ここに労働契約が成立すると考えられます。したがって、募集時に明示された条件がそのまま募集に応じて労働契約を締結した者との間の労働条件となるわけではないと考えられています。では、募集時と採用後の労働条件とが異なる場合の法規制はどうか、という点について検討したいと思います。
2.見込み賃金と労働条件の明示について
 募集段階に会社から求人票や募集広告で明示される「見込みの賃金」などは、法律的には確定的な労働条件にはなっておらず、それが採用段階で若干変動することが含みになっていることからも、募集広告内容や内定時の見込み額等の条件をそのまま実行する労働契約上の法的な義務はありません(岩出誠著『実務労働法講義』第3版上巻<民事法研究会、2010>202頁)。
しかし、応募し、内定した労働者の方でも示された見込み額に期待していますし、その期待を持たせたのは会社であるとすれば、契約で確定していないということだけで、まったく会社に責任がないとは言えないでしょう。
この「見込み」と明示される賃金とは、いかなる意味を持つものなのかが争われた裁判例があります。これは、新規卒業者募集をしようとする会社の求人票に記載してある初任給見込み額は、採用内定者に対し、右額の賃金支給を保障したものとまでは認められないとしたもので、結果的には会社に対し、義務違反なしとした事例ですが、「賃金は最も重大な労働条件であり、求人者から低額の確定額を提示されても、新入社員としてはこれを受け入れざるをえないのであるから、求人者はみだりに求人票記載の見込額を著しく下回る額で賃金を確定すべきでないことは、信義則からみて明らかである」旨判示しています(八洲測量事件・東京高判昭58・12・19判時1102号24頁)。
なお、このケースでは、賃金の多寡が争われましたが、その差額は相当大きいとまでは言えず、その点にも考慮する必要があると考えます。
また、採用に際して、労働契約法4条1項が問題とされ得ることに留意する必要があります。「労働者の理解を深めるようにする」ことは、具体的な権利義務を設定するものではなく、いわば努力義務に近いゆるやかな規範である訓示的規定で、ここから、情報開示の法的履行請求権や、説明義務違反による損害賠償の根拠となるような情報提供・開示義務のようなものは直ちには導かれないものと解されますが、上記説明義務の内容を補充するものとして援用され、損害賠償義務が導かれやすくなることはあり得るでしょう。
なお、従前から、中途採用者のケースですが、求人広告、面接及び社内説明会において新卒同年次定期採用者の平均給与と同等の待遇を受けることができるものと信じさせかねない説明をしたとして、労働条件明示義務違反と信義則違反を理由に、慰藉料100万円を中途採用者に支払うことを企業に命じた例が示されており(日新火災海上保険事件・東京高判平12・4・19労判787号35頁、さらに、募集・採用時における信義則上の説明義務違反をめぐるオプトエレクトロニクス事件・東京地判平16・6・23判時1868号139頁等参照)、さらに、この傾向は前述の労働契約法4条1項により強まるものと考えます。

対応策

結論としては、A社の置かれた状況が倒産寸前のような緊急事態の場合などには、募集広告や内定段階での見込みとしての提示賃金との違いについて法的責任を問われることはありませんが、退職者が出る覚悟は必要でしょう。又、そのような緊急性が認められなければ差額の補償などの責任の発生することもあり得ます。 つまり、その減額の幅、今回の減額の理由となった業績悪化の程度、新入社員への説明の対応・時期などが問題になり、1年間分の差額賠償などが認められる可能性もあり得ますので、会社からの誠意ある対応が必要です。 但し、内定者等に対しては、同意が得られない場合には、募集条件との相違をめぐる前述の問題があり、辞退や損害賠償等の問題発生の懸念はあります。 そこで、社員を辞めさせたくない場合、会社の窮状を説明するなど誠意をもった対応が必要で、さらには、各入社予定者から個別の書面による同意を得ることが必要でしょう(労働契約法4条2項「労働者及び使用者は、労働契約の内容(期間の定めのある労働契約に関する事項を含む)について、できる限り書面により確認するものとする。」とされています)。しかし、あくまで、従業員が見込み条件に固執する場合、就業規則の改正や配転などの方法での対処もあることを説明して説得に当たり、それも拒否され、具体的に仕事の放棄などまでされるような場合には、懲戒や解雇の問題として処理せざるを得ません(設問10-5-2参照)。

予防策

このような問題が起らないためには、募集や内定の段階において、入社時の条件については必ず変更があり得ることを説明し、特に賃金については前年の見込み額として表示しておくことが必要で、採用時の言動には、改めて注意する必要があります。 しかし、この種の対策を取る場合には、会社側がそのような防御を固めて入社時の条件について曖昧な態度に出れば、特に若者については、そのリアクションとして従業員が内定を辞退し他の会社に鞍替する危険を覚悟して、そのバランスを取る必要があります。

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