法律Q&A

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人事・労務に関する「時効」の問題点

社会保険労務士 深津 伸子(ロア・ユナイテッド社労士事務所)
2006.09
第1 人事・労務に関する「時効」の意義
I 時効に関してどのような労使トラブルが生ずるか

 人事・労務に関する「時効」というと、まず挙げられるのは、賃金等に関するものでしょう。例えば、会社の事務処理ミスにより、手当の支給がもれていたケースや、また過労死等の増加という背景から、労働基準監督署がサービス残業や、長時間労働などの問題点につき指導を強めている傾向にあり、この調査から多額の未払い残業代が発覚し、支払うようなケースも発生しています。この際、賃金をいつまでさかのぼって支払うのかといったことが問題となる場合があります。

 また、現在、厚生労働省の検討事項として、年次有給休暇を時間単位での取得を可能とすることなどが検討されており、より複雑な人事労務管理が求められることも予想され、こういった請求権に対する時効についても踏まえておかないと、誤った管理や運用をし、トラブルに発展しかねません。

 このような背景から、人事・労務に関する「時効」の問題点を、検討していきたいと思います。

II 人事労務に関する「時効」の考え方
1 労基法による消滅時効の特則
  時効に関する私法の原則によると、一般債権は10年(民法第167条)、1年以下の期間による定期給付債権は5年(民法第169条)、商事債権は5年(商法第522条)、特に「月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権」(民法第174条)は1年の短期消滅時効とされています。これによると、労働関係における、月給や日給などの請求権が1年をもって消滅することとなります。

 しかし、労働者にとっての重要な請求権の消滅時効が1年では、労基法の根本趣旨である労働者の権利保護に欠ける点があります。その一方で、10年という長期間の時効期間は、使用者には酷にすぎ、事務上の負担や取引安全に及ぼす影響も少なくはありません。また、工場法では、その第15条で災害扶助の請求権について2年の短期消滅時効を定めていました。そこで、労基法第115条により「この法律の規定による賃金(退職手当を除く)、災害補償その他の請求権」について2年間の消滅時効の特則が設けられました。

 そして、退職手当についても、当初はこの賃金に当たるとして、2年間の消滅時効期間と解されていましたが、昭和63年4月から5年に延長されました(労基法第115条)。その理由として、[1]職手当は高額になる場合が通常であり、資金の調達ができないこと等を理由にその支払に時間がかかることがあること、[2]労使間において退職手当の受給に関し争いが生じやすいこと、[3]退職労働者の権利行使は、定期賃金の支払を求める場合に比べ、必ずしも容易であるとはいえないことなどが挙げられています。

2 労基法第115条が適用される請求権
 労基法第115条の適用を受ける請求権は、労基法の規定による「賃金請求権」、「退職手当請求権」、「災害補償請求権」及び「その他の請求権」です。以下、各請求権について、検討します。

(1)賃金請求権
 労基法第11条は賃金について「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものいうとしています。よって、この賃金請求権の中には、月給、週休、日給など定期的に支払われる賃金はもとより、通貨以外のもので支払われるもの(同法第24条)、時間外・休日労働に対する割増賃金(同法第37条1項)、年次有給休暇期間中の賃金(同法第39条6項)等も含まれます。この請求権は、賃金支払期ごとに発生した賃金請求権であり、労働契約に基づき発生する基本権としての賃金請求権が消滅時効の対象になるのではありません(川崎重工事件・神戸地判昭 32.9.20労民集8-5-578)。

(2)退職金請求権
 労基法第115条の退職金に当たるのは、就業規則、労働協約、労働契約等により、その支給条件があらかじめ明確に規定され、会社が当然に支払義務を負う退職金です。この退職金は、「労働の対償」として、賃金(同法第11条)に該当し、本条の退職金に該当します。

 また、退職金請求権の消滅時効について、本条が適用されるとしても、いわゆる社外積立型の退職手当制度である中退共や厚生年金基金制度等については、中小企業共済財団や信託会社等の社外機関から給付されるので、労働者の社外機関に対する請求権の消滅時効については本条の適用はありません。それぞれの制度の適用法律又は根拠法律の規定するところによります。例えば、中退共における退職金等の支給を受ける権利は5年間(中小企業退職金共済法第33条第1項)、厚生年金基金における保険給付を受ける権利は5年間(厚生年金保険法第92条第1項)といった消滅時効が定められています。

(3)災害補償請求権
  労基法には、災害補償として、療養補償(同法第75条)、休業補償(同法第76条)、障害補償(同法第79条)、葬祭料(同法第80条)、打切補償(同法第81条)、分割補償(同法第82条)が定められています。これらの請求権の消滅時効は2年間とされています。ただし、労基法の災害補償は、実務上は、労災保険法によって処理されるのが通常です。労災保険法における消滅時効期間は、療養(補償)給付、休業(補償)給付は2年間、障害(補償)給付、遺族(補償)給付は5年間と定められています(労災保険法第42条)。

(4)その他の請求権

  1. 金銭債権
     帰郷旅費(労基法第15条3項、第64条)、金品の返還(同法第23条)、休業手当(同法第26条)等の請求権は、労基法が労働者に対して保障しており、「その他請求権」に含まれます。
  2. 解雇予告手当請求権
     行政解釈においては、労基法第20条の解雇予告手当は、解雇の意思表示に際して支払わなければその効力は生じないと解されるので、一般には解雇予告手当については時効の問題は生じないとされています(昭27.5.27基収1906)。しかし、同法第20条に違反する解雇、すなわち、除外事由が存在しないのに、30日前の予告も予告手当の支払もなくなされた解雇の私法上の効力については、諸説があり、裁判例も分かれています。よって解雇予告手当請求権の発生如何についても解釈が分かれているところであり、本稿においては、頁数の関係で割愛させていただきます。
  3. 年次有給休暇
     労基法第39条の年次有給休暇については、同法第115条の適用がないとする説もありますが、行政解釈においては、年次有給休暇について「労基法第115条の規定により2年の消滅時効が認められる」(昭2212.15基発501)とされています。また、一般的にも、年休をその年度内に全部消化しなかった場合は、残りの休暇日数は権利の放棄とせず、2年の消滅時効が適用されるとされています(国際協力事業団事件・東京地判平9.12.1労判729- 26)。
  4. 退職時証明、物品の返還
     退職時の証明(労基法22条)も、請求権の時効は退職時から2年と解されています(平11.3.31基発169)。労働者の所有に係る物品の返還請求権は、民法の規定によります(第167条第2項)。

(5) 適用されない請求権
 上述以外の請求権として、安全配慮義務に基づく損害賠償請求権、セクシュアル・ハラスメントによる被害に対する損害賠償請求権があります。これらは、不法行為による構成で請求される場合には3年間(民法第724条)、債務不履行による構成で請求される場合には10年間(民法第167条)の消滅時効期間となります。

3 時効の起算点と中断
 労基法上、時効の起算点については規定されてはいませんが、一般的にいって、具体的に権利が発生したときとなります。よって、賃金請求権については、それが具体化する各賃金支払期となります。

 また、時効の進行中に、時効の基礎を覆すような事情(中断事由)が発生した場合に、それまでの時効期間の経過をリセットする制度として時効の中断があります。この時効の中断についても、労基法上特別な規定がおかれていないため、私法の一般原則によって処理されることになります。時効の中断事由には、請求、差押え、承認等があります(民法第147条以下)。時効が中断すると、中断時における残りの期間を経過しても時効は完成せず、中断事由の終了した時から改めて新たに(ゼロから)時効期間の進行が開始されます(民法第157条第1項)。

 時効の中断に関して、年次有給休暇請求権の問題があります。この点につき、行政解釈は、時効中断事由となる請求については、裁判上の請求でなければ時効中断の効力は生じないから、請求権がさらに2年まで延長されるというような場合は法律上極めて稀有であるとしています(昭23.5.5基発 686)。また、時効中断事由となる使用者の承認については、勤怠簿、年次有給休暇取得簿に年次有給休暇の取得日数を記載しているのみでは足りないとしています(昭24.9.21基収300)。

第2 時効に関する裁判例
1 時間外手当、深夜手当に関する裁判例
 東建ジオテック事件(東京地判平14.3.28)は、従業員らが、所属する労働組合を通じ労使交渉の場で一貫して時間外賃金の支払を請求していたこと、労基署が会社に対し時間外及び深夜労働手当を支払うよう是正勧告するとともに指導票を交付したので、従業員らは会社がこれに従うものと信頼したこと等の事実を上げ、これらをもって、時効援用の権利濫用または信義則違反とするとの従業員らの主張は、採用できないと判断しました。

 一方で、日本セキュリティシステム事件(長野地佐久支判平11.7.14)は、会社に、常夜勤務の警備員として警備や現金輸送などの業務に従事していた従業員らが退職後に、在職当時の深夜時間帯における休憩・仮眠時間についての、時間外労働および深夜労働に対する割増賃金を請求した事案です。このうち、従業員らの請求の中で、平成3年8月分以前の分について消滅時効が完成しているか、また会社のこの時効援用が権利の濫用に当たるかという問題が争点の1つとなりました。

 この点につき、本判決は、時間外手当、深夜手当を算定するのに必要な賃金台帳、タイムカード、警備勤務表は会社が所持しており、従業員らが容易に算定することはできないことは明らかであるから、「消滅時効中断の催告としては、具体的な金額及びその内訳について明示することまで要求するのは酷に過ぎ、請求者を明示し、債権の種類と支払期を特定して請求すれば、時効中断のための催告として十分である」として、平成3年6月分以降8月分までの賃金債権について時効が中断されたと判断しました。また、会社の時効援用について、従業員ら組合結成後、数回の団体交渉、労働委員会での斡旋手続、労基署への申告、催告の手続を行い、最終的に本件訴訟の提起に至ったものであり、従業員らには給与明細のほか時間外手当、深夜手当を算出すべき資料がなく、計算に相当程度の準備期間を要することは会社においても了知していたはずであって、このような経過のなかで訴え提起後2年4ヶ月を経て時効を援用することは信義にもとるものであり、権利濫用として許されないと判断されました。

 時間外手当、深夜手当については、具体的金額や内訳を明示せずとも、請求者を明示して、債権の種類と支払時期を特定して請求すれば、時効中断のための催告として十分であるとした点は特に注目されます。
2 懲戒事由発生の7年半後の懲戒解雇
 ネスレジャパンホールディング事件(東京高判平16.2.25)は、会社から懲戒事由(管理職に対する暴行障害事件)発生の7年半後に懲戒解雇された元従業員らが、懲戒解雇は無効であるとして、会社に対し、従業員たる地位の確認を求めるとともに懲戒解雇の日以降の給与および賞与の支払いを求めた事案です。本判決は、懲戒事由が発生してから本件解雇がなされるまで相当な期間が経過しているが、会社は懲戒処分等を含む責任追及の権利を留保する通告書を送付しており、また、元従業員らが第1組合支部の重要なメンバーであったことから処分について慎重になったであろうことは容易に推認できるから、捜査機関の捜査結果を待ったことをもってあながち非難することはできないとしました。よって、懲戒事由が発生してから解雇がなされるまで相当な期間が経過しているがゆえに本件解雇が解雇権の濫用、信義則違反であるといはいえないと判断しました。また、使用者の懲戒権は商法第522条に規定する商行為によって生じた債権とはいえないとして、懲戒権は時効により消滅したとはいえないと判断しました。実務的には、懲戒権の行使期間が相当であるかどうかの判断目安として、会社がいたずらに放置していたといえるかどうかの客観的要件と、処分がもはやありえないであろうとの従業員の期待の存否という主観的要件を示し、これらの要件を満たした場合には、懲戒権の濫用にあたらないと判示した点が、参考になるでしょう。
3 退職金請求に関する裁判例
 幸田など事件(東京地判平7.5.26)は、退職金請求権の消滅時効等について争われた事案です。本判決は、従業員Aについて、退社当時、会社札幌店には退職する従業員に対し、退職金を支払う制度が存在したことが認められるが、認定事実及び書証だけでは、会社東京店と同札幌店の勤務の関係をどう扱うのか、どの時点での基準表を適用することになるのか等が不明であって、Aの退職金額を算定するに足りず、他に退職金額を算定するに足りる証拠はないとして、退職金請求が退けられました。また、この退職金請求権は、Aの退職日(昭和62年6月)の翌日から行使し得たものと認められるところ、当時の退職金請求権の消滅時効期間は2年であり、本訴提起時には既に消滅時効期間が経過していて、会社が消滅時効の援用をしていることが認められ、退職金請求には理由がないと判断されました。実務的には、退職金請求権の発生が、退職日の翌日とされたことの外に、退職金制度の支給条件があらかじめ明確に規定されていなかったことにより、退職金請求が退けられた点は、上述第1Ⅱ2(2)の趣旨を補完する意味でも参考となるでしょう。

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