従業員が妻の仕事や家族の看護を理由に転勤を拒否したら?
A社は大阪に本店をおき、全国十数か所に支店、営業所を持つ会社で、就業規則にも、「業務の都合により異動を命ずることがあり、社員は正当な理由なしに拒否できない。」と定められ、従業員、特に営業担当者の転勤は頻繁に行われていました。そんなA社が入社時に勤務地を大阪に限定するような特別の約束もなく採用したBは、大卒者として入社してから約8年間、大阪及び神戸において営業部員として勤務していました。ところが、春の人事異動でA社がBに対し、神戸営業所の主任待遇から広島営業所主任への転勤を内示したところ、Bは、「母親(71歳)、妻(28歳)、長女(2歳)ともに堺市内に住んでいて、妻は1カ月前に勤務先の会社を退職し、保育所に保母として勤務し始めたばかりのため、単身赴任となってしまう」などという家庭事情を理由に転勤を拒否しました。そこでA社は、広島営業所へは名古屋営業所のC主任をあてることとし、その後任としてBに名古屋への転勤を内示しましたが、Bはこれも拒否し、「これはいじめだ」として慰謝料を請求してきました。A社のその後の説得に対してもBは応じようとしませんでした。A社としては、他の人事異動や、他の従業員への影響もあり、このまま事態を放置できません。どのような措置をとることができるでしょうか。
就業規則などに、配転に関する規定と採用時の合意などがあれば、解雇などで対応することもできます。配転義務がある場合、慰謝料を支払う義務もありません。
- 1.配置転換と転勤
- 企業にとって経営組織を効率的に動かし、多様な能力と経験を持った人材を育成するためにも、従業員の配置の変更を、同一の事業所内は勿論(これを「配置転換」と呼んでいます)、勤務地の変更を伴っても(これを「転勤」と呼んでいます)、実施することが必要となってきます。この場合、特に、子供の進学問題を含む家庭事情から単身赴任を招く遠隔地への転勤については、従業員の抵抗が出る場合があり、裁判所でも配転命令の効力が争われたり、質問のように慰謝料請求がなされることが少なくありません(エフピコ事件・水戸地下妻支判平11.6.15 労判763号7頁では、転勤義務がないにも拘らずあることを前提に退職を強要されたとして、慰謝料等の損害賠償が認められましたが、東京高判平成12.5.24同控訴事件<労判時5号22項>では、逆転して、転勤義務があるとして、慰謝料等の請求も否定されました)。
- 2.転勤命令権
- この点について、設問のようなケースが問題とされた東亜ペイント事件で、最高裁は次のような判断を示して転勤を拒否した従業員に対する会社の懲戒解雇を認めています(最判昭和61.7.14判時1198号149頁)。先ず、転勤を命ずるには、就業規則により転勤があるという定めがあることだけでは足りませんが、そのような定めがあった上に、大卒幹部社員のように、全社レベルで働くことが期待され、現にそのように全国的に複数の事務所を持って転勤などが行われ、入社時にも特別に勤務地を限っていない場合には(もっとも、幹部候補に限らず、前掲エフピコ控訴事件のように、いわゆる現地の工場労働者にも他の地方への転勤義務が認められる場合もあります)、使用者は「個別的同意なしに」「業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定」し、「これに転勤を命じて労務の提供を求める権限」があるので、転勤を命ずることができる、というのです。
- 3.転勤命令できない場合はあるか
- 次に判決は、「転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することは許されない」として、転勤命令が許されない場合のあることを認めています。判決が許されない場合として認めるのは、転勤命令につき業務上の必要性がない場合又は「業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」であるとします。しかも右「業務上の必要性」の程度は「当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性」は要らず、「労働力の適性配置、業務の能力増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである。」とされています。
そうすると、一般に会社が、定期的又は人事の刷新や新規事業所の設置などのため行なっている場合はさほど問題となることはないことになります。判決でも、「本件についてこれをみるに、名古屋営業所の金永主任の後任者として適当な者を名古屋営業所へ転勤させる必要があったのであるから、主任待遇で営業に従事していた被上告人を選び名古屋営業所勤務を命じた本件勤務命令には業務上の必要性が優に存した」、として業務上の必要性を簡単に認めています。
- 4.家庭の事情への考慮の程度は
- 従って、実際上の問題の焦点は、転勤により従業員が被むる不利益の程度ということになります。しかし判決は、設問のようなBの家庭状況について、名古屋営業所への転勤がBに与える「家庭生活上の不利益は、転勤に伴ない通常甘受すべき程度のもの」として、Bへの転勤命令は権利の濫用に当らないとしています。最近、家庭生活への影響を考慮した上で配転命令を有効とした最近の例として長男を保育園に預けている女性従業員に対する東京都目黒区所在の事業場から同八王子市所在の事業場への異動命令が権利の濫用に当たらないとされたケンウッド事件があります(最判平12.1.28 労判774号7頁参照、なお、帝国臓器製薬事件・最判平11.9.17労判768号16頁でも、同様に家庭生活への影響とのバランスを考慮した上で配転命令が有効とされています)。
対応策
設問については東亜ペイント事件等の最高裁判決に従い、A社のBへの転勤命令は有効なものと考えられ、Bが飽くまでこれを拒否する場合は、他の従業員への玉突き的な影響もあり、又、今後の人事異動への抵抗を許す結果となることを考えると(懲戒)解雇もやむを得ないでしょう。しかし、最終処分としての懲戒解雇を検討するに当っては、それが極刑であるための抵抗もあるため、慎重を期するべきです(設問10-5-2参照)。Bへの単身赴任手当の支給の有無やその額、単身赴任した場合の帰郷旅費の支給の有無や額、転勤先の居住を確保する措置をA社が取ったかどうかや、A社が、当初広島への転勤を内定していてそれをより大阪に近い名古屋に変えたことが、Bの負担の軽減のための配慮によるものであったかどうかなどを整理しておく必要があります(これらの要素を考慮したと解される前掲帝国臓器製薬事件参照)。
予防策
会社の規模や人員構成がそれに適していれば、もっとも有効なのは、定期的な人事ローテーションを行なうことでしょう。これにより従業員の転勤への抵抗を事実上弱めることができるし、納得性も高まる上、人事の活性化も実現できます。これが困難な会社では、東亜ペイント事件判決が指摘している判断基準を意識した就業規則などの配転規定の整備とその確実な運用、そして採用時の転勤に関する誓約書などによる合意の取りつけが肝要です。但し、家庭の事情への配慮については、後で設問10-1-2で触れる育児・介護休業などの事情が発生した場合は別であり、これらの制度の中で処理されることになりますが、これらの点についてはそこで又触れることにします。又、労働組合との間での人事異動に関する協議条項などがある場合は組合との一定の協議が必要となります。