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引継を行わず退職した社員に損害賠償請求

弁護士 難波 知子(ロア・ユナイテッド法律事務所)
2011年09月:掲載

引き継ぎを行わず退職した社員に、損害賠償を請求できるか?

ほどなく退職日を迎えるにもかかわらず、いまだ担当業務の引き継ぎを一切行おうとしない社員がいます。この者は、社内の一プロジェクトの重要部分に関与しており、後任者への各種引き継ぎは必須であるところ、上司・同僚らの再三の求めにも応じず、このままでは本当に何もしないまま、退職することになりそうです。そこでお尋ねですが、もし引き継ぎが一切行われない、または不十分な形でしかなされなかった場合、「会社の事業運営に支障を来した」として、損害賠償を請求することは可能でしょうか。また、このようなことを防止するためには、どのような対策をしておけばよいのでしょうか。なお、就業規則には、担当業務の別を問わず、退職時の業務引き継ぎ義務につき、明記しています。

引継ぎを一切行わなかった場合、損害賠償請求が認められる可能性はあるが、実務上は、こうした退職者を出さないよう事前に防止策を講じることが重要である。

1 労働者の退職の自由
 労働者には、退職の自由(憲法22条1項)があるので、例えば、退職について使用者の許可を必要とするような就業規則の規定は無効となります。
そこで、どのようにして退職予定の労働者に対して引継ぎを行わせるのかが問題となってきます。
2 会社からの損害賠償請求が可能なケースとは
(1)一切の引継ぎをしない場合
まず、退職するにあたっての引継ぎは、信義則上の義務であるとされていますので、労働者は、退職するに当たり、誠実に引き継ぎをする必要があるといえます。したがって、労働者が、引継ぎ自体を一切せずに退職すれば、使用者は、この労働者に対して、損害賠償を請求できる可能性があります。
ここで、使用者としては、期待し得る完璧な引継ぎを求めたいところですが、現実的にそこまでのものは実現不可能と考えられます。そのため、誠実に、必要な範囲で引継ぎが行われれば、労働者に責任を問うことはできないといえます。
また、引き継が一切なされなかった場合、労働者の義務違反を問うことができるとしても、引継ぎ未了と損害との間の因果関係については、使用者が立証しなければならず、それには困難が伴います。さらに、「”この労働者のみに責任がある損害額”はどの程度か」の算定や、その立証も難しく、会社が希望する金額を全額請求するというのは現実的にはかなり難しいといえます(入社直後の突然退職による損害賠償を一部認めたとされるケイズインターナショナル事件・東京地判平成4・9・30労判616号10頁がありますが、この紹介については、第9編Ⅳ「入社直後の退職への損害賠償」参照 )

(2)不十分な引継ぎの場合
一方、労働者が、不十分な引継ぎしかしない場合はどうでしょうか。①一応、引き継ぎは行われていること、②「不十分」の定義が不明確であること、また、③不十分というなら、使用者は、退職日の先延ばしを依頼するなど、本人に何らかの指示を出したり、対策を講じたりする余地があり、使用者にも責任があると考えられること―等から、「不十分」さの程度・態様があまりにも悪質でない限り、損害賠償請求は認められ難いといえるでしょう。

対応策

ご質問の場合は、「後任者への各種引き継ぎは必須であるところ、上司・同僚らの再三の求めにも応じずこのままでは本当に何もしないまま、退職することになりそう」ということですので、このまま会社側からの再三の求めに応じず、この労働者が一切の引継ぎを行わないとすれば、就業規則に引継ぎ義務が明記されている以上、契約の内容となっている引継ぎ義務違反や信義則上の義務違反による債務不履行に基づく損害賠償請求や、故意に引継ぎを行わず、損害を発生させたことによる不法行為に基づく損害賠償請求が可能と思われます。
もっとも、この労働者が引継ぎ行わないことが予測できた時点で、会社として何らかの対策を立てることもできること、引き継ぎ不足による損害発生は、労働者のみの責任とはいい切れないこと等、因果関係、損害の立証、過失相殺の観点から、損害賠償を請求できたとしても、「会社の事業運営に支障を来した」として、会社が希望する賠償額の全額を回収するのは難しいといえるでしょう。

予防策

より現実的な対応としては、「引き継ぎを行わず退職する」労働者を出さないよう、事前策を講じることが望ましいといえます。そこで、どのような措置が考えられるか、以下、検討することにします。
①退職予告の期間の伸長
まず、退職届の提出日について、就業規則に「退職の30日前までに退職届の提出を要す」旨を規定し、退職予告期間を伸長し、その間、引き継ぎを行わせることが考えられます。
しかし、この場合でも、使用者は「労働者がこのルールを守らないので、退職を認めない」とすることはできず、通常どおり、労働者の解約の申入れの日から2週間が経過すれば、退職の効力が発生する(期間の定めのない雇用契約の場合。民法627条1項)点に留意する必要があります。
②退職前の年休申請に対する時季変更権の行使
次に、退職に当たって、この労働者が引き継ぎを行うことなく、未消化の年休の取得申請をしてきた場合、使用者は、「事業の正常な運営を妨げる」として、取得の時季を変更して引継ぎを行わせることが考えられます(労基法39条5項但書き)。
しかし、そもそも退職日を越えた時期変更はできませんし、また、客観的にみて「事業の正常な運営を妨げる場合」に当たらなければ、年休使用の申請を拒否できません。そして、通常の場合、「事業の正常な運営を妨げる」という状況は生じないことが多いといえますので、年休使用を拒否できる場合は、限られてきます。
このような場合、あとは、使用者と労働者の話し合いにならざるを得ず、労働者の理解の下、合意により退職日を先に延ばすなどしたうえで対処することになるといえるでしょう。
③ 退職金不支給規定
労働者が「引継ぎ業務をしなかった場合、退職金の一部又は全部を支給しない」などの規定を、就業規則・賃金規定などで明定していれば、その違反の程度に応じ、こうした退職金の減額・没収、その他の懲戒処分のあり得ることを警告して引継ぎ業務を促すことは可能です(退職申出後2週間正常に勤務しなかった場合には退職金は支給しないことが認められた大宝タクシー事件・大阪高判昭和58・4・12労判413号72頁参照)。
もっとも、その場合でも、引継ぎ自体の強制はできません。また、労働者に対する“不意打ち”防止のためにも、減額や不支給事由については、具体的な記載をしておくことが必要です。そもそも、退職金の「賃金後払い的性格」からは、引継ぎをしなかったことのみで、これを全額(場合によっては一部)不支給とすることは困難です。仮に減額が認められるにしても、その幅については、引継ぎ義務違反の重大性と、これまでの功労とのバランスで検討されることになるでしょう。

以上のとおり、就業規則等における引き継ぎ規定の整備はもちろん、それを労働者に周知するとともに、日常的に労働者との間で信頼関係を結び、引き継ぎが円滑になされるように環境を整えておくことが重要となるといえるでしょう。

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